記事一覧『連載:復興のランドスケープ』

復興のランドスケープNo. 11 南三陸町志津川地区における...

松本 悟(独立行政法人都市再生機構) ―松本さんのご所属と南三陸町への異動の経緯を教えてください。 松本:私は,UR 都市機構(以下UR)南三陸復興支援事務所に所属しておりまして,2013年春から宮城県南三陸町志津川の復…

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復興のランドスケープNo. 11復興に立ちはだかる防潮堤計画...

長峯純一(関西学院大学総合政策学部) 1.L1基準による防潮堤計画 震災後,海岸を管理する県・市町村は,内閣府「中央防災会議」および海岸を管理する国交省・農水省・水産庁が示したレベル1(L1)という海岸堤防の設計指針に従…

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復興のランドスケープNo. 10震災遺構公園「震災メモリアル...

櫻庭祐輔(環境省東北地方環境事務所宮古自然保護官事務所) 1.震災メモリアルパーク中の浜 三陸復興国立公園「震災メモリアルパーク中の浜」(英語表記「Tsunami Memorial Park NAKANOHAMA」)は,…

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復興のランドスケープNo. 09地域交流による海浜植生復元へ...

鈴木玲(雪印種苗㈱環境緑化部)ほか3名 1.壊滅しなかった海辺の植物と人々の想い 2011 年3 月11 日に起こった未曾有の大震災は東北を中心とした太平洋沿岸に甚大な影響を及ぼした。直後に訪れた被災地では,家も木も流さ…

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復興のランドスケープNo. 08三陸漁村の暮らしの風景と再生

大隅一志((公財)日本交通社) 1.はじめに 「私を魅了する原因は、三陸地方の海が人間の生活と密接な関係を持って存在しているように思えるからである。観光業者の入りこんだ海岸の海は、観光客の目を楽しませることはあっても、す…

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復興のランドスケープNo. 07復興と持続可能な社会づくりの...

岩渕翼(東洋大学生命科学部/PEM Network) 1.はじめに 東日本大震災から3年が経った。しかし周知のとおり復興の歩みは遅く,未だに多くの被災者が仮設住宅で寝起きし,また多くの地域で復興計画が日々議論されている。…

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復興のランドスケープNo. 06被災経験があるからわかること...

平田富士男(兵庫県立淡路景観園芸学校/兵庫県立大学大学院緑環境景観マネジメント研究科)  1.天災は忘れもしないうちにやってくる 寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる。」と言った。しかし,今から約20年前にあの阪神・淡…

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復興のランドスケープNo. 05 グリーン復興プロジェクト「...

中川 春菜(環境省)  彼の旅はこうして始まった。 『八戸へ向かう夜行バスの中では,どんなことをしようなんて考えず,もう色んな人に話しかけて出会いをいっぱい作ろう。そしたら何かが生まれるだろう。そう考えていました。僕は美…

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復興のランドスケープNo. 04 エコツーリズムによる震災復...

海津 ゆりえ(文教大学国際学部)  三陸沿岸は,記録に残っているだけでも貞観時代より幾度も大地震と大津波に見舞われてきた「地震・津波常習地」である。しかし,いつの災害の後も人々は住み続け,津波の猛威に遭遇しながらも留まる…

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復興のランドスケープNo. 03 災害から見出した『光』

引地 伸也・大宮 司寛・鹿野 護・千葉 伸一(松島流灯会海の盆実行委員会) 「松島は扶桑第一の好風にして,およそ洞庭・西湖を恥じず」(奥の細道より) 東日本大震災では,ここ松島町は震度6弱を記録した。さらにこの地震が引き…

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