Why does Japanese Landscape Require Globalization Now?
田口 真弘(アメリカ在住 ランドスケープアーキテクト)
先日、大学の先輩から「グローバル・ランドスケープ通信」というものを造園学会で始めるので何か書いてくれないか?とEメールが届いた。私自身、海外でランドスケープ・アーキテクトの仕事をしている傍ら、グローバルという言葉とも関係しているだろうと思い、軽返事で了承した。しかし、いざ「グローバル」と言う言葉をキーワードにして何かを書いてみようと思うと、難しい。事例紹介や国際情勢で良いのだと言うのだが、さらに何を書いて良いのか分からなくなってしまった。そこで私は仕事で忙しいことを言い訳に、基本的に暫く何も書かないままにしていた。
数日前、両親が私の住む米国フロリダ州に初めて遊びに来た際に、実家の家を設計した女性建築家の後藤先生から預かってきたと数枚の白黒コピー用紙を渡された。そこには、後藤先生がを受けた際に課題の一環として書かれた短いエッセイがあった。その一つに<ローマ暮らしと「まち」への思い>というものがあり、最初の文章は以下のように始まっていた。
「東京で生まれ育った私は、いつの頃からか、親しみ住み慣れたまちが激しく変わって行く様子に落胆し、ため息をつくことが多くなっていた。」
この言葉は、なぜか私の心の奥に響くものがあった。
そうだ。この文章は、私がランドスケープを米国で留学する際に提出する必要があったエッセイ(願書)にとても似ていることに気がついた。私の場合は、横浜の自宅の前にあった小さな竹藪の山が開発され、マンションになり、そこに毎年来ていた鳥が来なくなったという変化を理由に、環境やランドスケープについて勉強してみたいと書いたのだが。。。
後藤先生は両親と同じ年齢ぐらいだろうから、私より30年ほど前に生まれ、このように感じている。そして、私も同様に変化し続ける町並みについて感じている。これからの子供たちもこのように感じるだろうか?
日本の変化については、海外に出て暮らしてみると、とても痛感することになる。後藤先生の場合は、伝統・歴史を大事にするローマの暮らし、私の場合は、歴史は浅いが、その浅い歴史でも重要視したい米国の文化。どうやら私も後藤先生も、日本のまちについて考える際に海外で暮らした生活や都市と日本を比較することにより、基本にして思索するようだ。
今回、造園学会が主催したランドスケープ・グローバル通信というものは、もしかしたら海外の事を学ぶ・体験することにより、日本を違った角度、いつも見ている二つの目ではなく第三の目から日本のランドスケープを考え直すということではないだろうか?そして、現在も、早いスピードで変わりつつある日本のまちや景観について、個々で再思考する良い機会であると思える。そういう視点でジャパン・ランドスケープを見れば、良い所も、悪い所も良く見えてくるだろう。
参考URL
http://www.landscapearchitect.jp/ (ランドスケープデザイン日誌)